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陸上競技用語集(は行)



陸上競技に関する用語(は行)をご紹介します。

ハードル競走

ハードル競走(ハードルキョウソウ)

元来、ハードルは軽い木材を骨組みとし、曲がりやすい枝を持っている様々な樹木を編み上げた移動可能な仮の塀や柴の束で作った野原の門などを指すと同時に、鉄や針金などでできている同様の構築物を指していた。自然の野原や放牧場を使い、長距離の中に障害物を置いて飛び越す障害物競走から派生し、グランドで行なう競技会などで短距離走やトラック競走の途中に人工的な柵や塀などの障害物を置き、これを何台も飛び越える形式として誕生した種目であると考えられている。日本では大正時代、「障害走」と呼んでいたが、現在は長距離走の中で水濠などを飛び越す種目「障害物競走」と区別して、「ハードル競走」と呼んでいる。1920年代後半に今日のハードルの原型ともいうべき木製のL字型ハードルが誕生、1933年(昭和8年)には高、中、低と各ハードルの競走の規格に合わせて高さが変えられる新しいハードルが考案された。

背面跳

走高跳には、主に「はさみ跳び」と「背面跳び」とい跳躍方法があるが、はさみ跳びはあくまでも初心者向けであり、背面跳びを習得するための最初のステップとして捉えられることが多い。また、多くの大会では小学生の背面跳びは禁止されており、セーフティーマットがない場所では背面跳びを行なってはいけない。競技者は通常、背面跳びで記録を競うが、背面跳びが登場したのは1968年(昭和43年)のこと。それまでは、バーの上で腹ばいの形になる「ベリー・ロール」と呼ばれるスタイルが一般的だったが、メキシコオリンピックでアメリカのディック・フォスベリーという選手が背中から跳び、優勝。当初は「おかしな跳び方」などと嘲笑されたが、フォスベリーが優勝したことで、背面跳びが脚光を浴びることになった。

箱根駅伝

正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。日本の陸上競技の中でも屈指の人気を誇る、学生長距離界最大の駅伝競走で、毎年、新年の風物詩となっている。関東学連加盟大学の内、前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校、及び関東学連選抜を加えた合計20チームが出場する。東京・読売新聞新社屋前から、箱根・芦ノ湖間を往路5区間108キロメートル、復路5区間109.9キロメートルの合計217.9キロメートルを10区間でつないで競う。箱根駅伝の起源は1920年(大正9年)。「日本マラソン界の父」とも呼ばれた金栗四三氏たちが抱いた「世界に通用するランナーを育成したい」という思いがきっかけになった。1917年(大正6年)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が開催され、大成功に終わったことを受け、大学や師範学校などに働きかけて早稲田大学、慶応大学、明治大学、東京高等師範学校(現筑波大学)の四校が賛同。「四大校駅伝競走」として第1回がスタート。

走高跳

走高跳(ハシリタカトビ)

走高跳に似た競技は、世界の様々な民族競技やアフリカ原住民の「成人のあかし」、「わざ比べ」などとして世界各地で行なわれていたと想像される。近代に入り、こうした民族競技以外に体育の手段として採用されるように。当初は、バーまたは紐の上での空中姿勢は、両足を閉じ、ひざを曲げて飛び越え、着地の際は体操競技のように姿勢を崩さないようにしていたとみられている。その後1850年代に入りイギリスで、公園や牧草地で行なわれていたクロスカントリーレースや障害物競走を、グランドに持ち込んで競技大会を開催するようになると、走高跳も他の投てき種目などと同様、若者の訓練の一環としてフィールド種目として採用され始めたようだ。より高く跳ぶために、人々は「挟み跳び」や「ロール・オーバー」、「ベリー・ロール」など様々な跳躍法が生み出された。全天候性のグランドの出現やマットの改良などもあり、現在の主流となった「背面跳」が登場したのは、1968年(昭和43年)のメキシコオリンピックだったとされている。

走幅跳

古代から川や沼地、自然にできた溝などを跳び越えたり、またぎ越したりする行動から派生し、前方へ遠くに跳ぶという競技が始まったと考えられる。古代の文献によると、石製や金属製の重りを持って競技をし、飛距離よりも形や着地の美しさに注意が払われていたという説もある。近代競技としての礎は19世紀のイギリスとされ、日本では明治初期の1870年代頃から「長飛」、「疾走幅飛」、「幅飛」などと呼ばれて採用されていた。大正期の1920年以降になると、現在使っている「走幅跳」という言葉が定着し始めたと見られている。試技数や順位の決め方などが変遷しながら、1896年(明治29年)のアテネオリンピック以降、記録が国際的に集計されるようになった。その後、「反り跳び」や「はさみ跳び」、今では禁止になっている「とんぼ返り(宙返り)」など様々な跳躍法が編み出された。

ハンマー投

砲丸投や円盤投など、他の投てき競技との最大の違いは、直接物体を投げるのではなく、重りにワイヤーを付けて遠心力を使って投げる点。直径2.135メートルのサークル内で身体を回転させながら、ハンマーを投げて到達距離の長さを競う。日本では、明治中期以降に欧米から伝わり「ハムマー投」、「槌投」などと呼ばれていたが、大正時代から「鉄槌投」、「ハンマー投」と呼ばれるようになった。体格的に劣る日本人は、回転などの技術を研究し、努力と工夫が重ねられてきたが、室伏広治選手の活躍により、人気競技として広く知られるようになった。現在の日本記録は、2003年(平成15年)に室伏広治選手が記録した84.86メートルで、女子の記録は妹の室伏由佳選手が2004年(平成16年)に記録した67.77メートルとなっている。

バウンスウォーク・バウンスラン

バウンスウォーク・バウンスラン(バウンスウォーク・バウンスラン)

陸上競技選手にとって、弾んだり、跳ね上がったりする基本的なトレーニングのひとつ。バウンスウォークでは、ひざを曲げ、ひざから上が「く」の字になるように腰を曲げる。次に跳び上がる気持ちで一気にひざと腰を伸ばして、身体を1本の棒のように伸びきった状態にする。その状態から足を前に運んで歩き出す。バウンスランでは、スターティングスタートの姿勢から、両足で軽く跳ねて両足で着地。体重は前の足にのせ、つま先で地面を軽くたたくイメージで行ない、今度は足を入れ替えて同じ動作を行なう。これを10セット程繰り返したら、走り出すというトレーニング。これらの動作により、ひざと腰の弾む力を養う。また、バウンスランの応用で「シザース」というトレーニングもある。これは、空中で足を素早く交互に前後させる、いわばハサミのような動きを入れるトレーニング。

バトン

リレー競技の命運を分ける、重要な要素がバトンの受け渡し。日本陸上連盟(JAAF)のルールブックの記載によると、競走中は手で持ち運ばなければならず、バトンの受け渡しをしやすくするために手袋をはめたり、何かを手に付けたりすることは禁止されている。バトンを落とした場合は、落とした競技者本人が必ず拾って競技を継続することも決められている。バトン自体の決まりとしては「バトンはつぎ目のない木材、または金属その他の硬い物質でつくられ、断面が丸く、滑らかで中空の管でなければならない」と規定がある。また、長さは280mmから300mmで、直径は40mmを基準にプラスマイナス2mmまで、重さは50g以上と定められている。また、レースでは識別しやすい色のバトンを使用するという注意点も記載されている。

伴走車

日本陸上競技連盟(JAAF)のルールブックによると「競技者は競技中、いかなる助力も受けてはならない」、「人または車両による伴走行為は、いっさい認めない」という記載がある。箱根駅伝ではかつて、走者を伴走する車に監督が乗り込み、激励や応援の声を投げかける様子がお馴染みだったが、交通事情への影響などもあり、廃止になった。現在は、各校の監督またはコーチ1名と補助者1名が運営管理車に同乗し、事故があった際などの対応に備えている。ただし、競技者の左右に付き、または通過するときに声援を送った場合、あるいは車輌に校旗、部旗、その他、大学を標示する旗などを掲示して競技者の左右に付いたり、通過したりした場合は罰則が与えられる。

パラリンピック

パラリンピック(パラリンピック)

4年に1度、オリンピック終了後にオリンピックの開催都市で行なわれている、世界最高峰の障がい者スポーツ大会。名称は「もうひとつの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」から生まれた。かつて、治療や訓練の一環として行なわれていた障がい者スポーツが、競技としてのスポーツ活動として行なわれるようになったのは19世紀以降と言われている。第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、ロンドンオリンピックに合わせて「ストーク・マンデビル病院」の車いす患者16名(男子14名、女子2名)によって開かれたアーチェリー大会が、パラリンピックの原点であると伝えられている。その後、国際大会へと発展。1985年(昭和60年)、国際身体障がい者スポーツ大会を「Paralympics(パラリンピックス)」と名乗ることが認められた。

110mハードル競走

通常ハードル種目では、男子は110メートルハードル、女子は100メートルハードルの種目が設定され、男女共通の距離として400メートルハードルがある。いずれも10台のハードルが設置され、高さや間隔が異なる。世代や大会などによって設定は異なるが、全日本選手権では一般男子の110メートルハードル競走では106.7センチメートル、女子100ハードル競走では、83.8センチメートル。110メートル、100メートルの場合は短距離走のスピードをキープしながら、スピードを減速することなくいかに10台のハードルを越えるかが重要となり、スプリント能力とハードリングテクニックの両方が要求される。ハードルを跳び越すのではなく、またぎ越えるというイメージで、ハードルを越える際の空中姿勢では身体の重心を低くし、着地のときには重心を高く保つのが良いとされる。

100m競走

陸上競技の中でも、最も花形の競技と言えるのが短距離走の100メートル競走。100メートル競走を制したランナーは「世界最速の男」、「人類最速」などと称され、羨望を集める。男子は長い期間、カール・ルイス選手やモーリス・グリーン選手など、アメリカの選手がシーズン記録を樹立するなど、短距離界をけん引してきたが、2005年(平成17年)頃からは、ジャマイカのアサファ・パウエル選手が100メートルの記録を更新するなど100メートル界をリードしていた。その後を受け継いだのが、同じくジャマイカのウサイン・ボルト選手。現在の世界記録保持者である。2009年(平成21年)8月に記録した9秒58は現在も破られることなく、世界最速のタイムとして君臨している。なお、日本の最速記録としては、伊東浩司選手が1998年(平成10年)に記録した10秒。

フィールド競技

フィールド競技(フィールドキョウギ)

陸上競技場の中で、トラックの内側を「フィールド」と呼ぶ。ここでは走高跳のような跳躍競技をはじめ、砲丸投、ハンマー投、やり投、円盤投などの投てき競技が行なわれ、これらをフィールド競技、フィールド種目と称する。ただし、跳躍競技の中には、棒高跳や走幅跳、三段跳など、直走路(フィールド)の外側で行なわれる競技もあるが、これらも総称としてフィールド競技に含まれる。走幅跳と三段跳の砂場は、一般的には助走路を挟んで両側に設けられることが多く、風向きによって使い分けている。日本陸上競技連盟(JAAF)のルールブックでは、走高跳用の支柱やバーの直径や重さ、マットの標準的な大きさ、走幅跳の踏切板のサイズなど、細かな数値まで記されている。

フィニッシュ

首から下の胴体の部分がフィニッシュライン手前の端に達したとき、フィニッシュと認められる。足先が到達していても、身体が遅れてしまっては意味がないので、胸を張ってゴールをするように意識することが重要となる。そこで、フィニッシュラインの5メートル程手前から上体を思い切り前に突き出して、胸から走り抜けたり、肩が先にフィニッシュラインに到達するように肩を突き出すように身体を少しひねりながらゴールしたりする方法も見られる。胸からフィニッシュする場合には、上体を前に突き出し、両腕を後ろに振って胸を張る。肩からの場合は、身体を少しひねりながら片側の肩をぐっと前に突き出す。いずれの方法も、走りのリズムを崩さないようにすることが大事で、フィニッシュライン上に来てもスピードを落とさず、走り抜ける。

フィニッシュライン

日本陸上競技連盟(JAAF)のルールブックによると、トラック競技において「フィニッシュは幅50mmの白いラインで示す」と記されている。競技場の外でフィニッシュする種目の場合は、フィニッシュラインの幅は30センチメートルまで、その色はフィニッシュエリアの道路面とはっきり区別できる色ならば何でも良いとされている。また、写真判定システムが使用されない競技会の場合、2本の白色に塗られた柱(フィニッシュポスト)を、フィニッシュラインの延長線上に、少なくともトラックの端から300ミリメートルの所に設置するよう規定されている。フィニッシュポストは、強固な構造であるものを使用し、高さ約1メートル40センチ、幅800ミリメートル、厚さ20ミリメートルとすることが記載されている。

フライング

フライング(フライング)

国際陸上競技連盟(IAAF)が定める不正スタート(通称:フライング)として、混成競技以外のトラック種目では、1回目のフライングで失格となる。スタートで呼び戻しのピストルが鳴ったあと、赤のカード(旗)が該当する選手に示されたときは、フライングによる失格となる。赤ではなく、緑の旗が振られたときは、ノーカウントを示す。これは機器などの不具合が原因で選手に非がない場合。トラック種目でフライング失格となったとき、不正スタート装置を使っていない大会では、口頭でのアピールをすることで審判長の判断によっては、裁定留保の状態で競技することが認められることがある。ただし、オリンピックではピストルと連動した不正スタート発見装置を採用しているので、フライングの判定が覆ることは原則としてない。

ブレイクライン

決められたレーンでスタートするトラック競技の中で、選手がレーンを離れてオープンになる地点に引かれる、白い曲線を「ブレイクライン」と呼ぶ。このブレイクラインを選手が認識しやすくするために、ブレイクラインやレーンラインとは異なる色のコーン(高さ150mm以下)または、角柱などが置かれることもあるが、日本陸上競技連盟(JAAF)公認の競技会などでは選手がブレイクラインの手前でレーンを離れてしまわないように、監察員が配置されることもある。日本陸上競技連盟(JAAF)のルールブックによると、「ブレイクラインは、トラックの第1曲走路の終わりに引かれた第1レーン以外のすべてのレーンを横切る幅50㎜の円弧のラインである」という規定が記されている。

プロ化

2000年前後から、世界陸上での賞金制が定着するなど、陸上競技界ではアマチュアスポーツの先陣を切るように、プロ化の動きが急速に起こった。その背景には、グランプリシリーズや、ゴールデンリーグなどの国際大会が賞金大会となっていたことがある。かつては、アマチュアの流れを強く引き継いでいた陸上競技界だが、賞金制の流れなどを踏まえ、2001年(平成13年)には国際陸上競技連盟(IAAF)が名称を「International Amateur Athletics Federations」から「International Association of Athletics Federations」と改め、アマチュアという表記を削除した。このような国際的なプロ化の流れを受けて、2002年(平成14年)3月、日本陸上競技連盟(JAAF)の理事会評議員会において、日本陸上競技連盟も英語表記からアマチュアの文字を削除した。

砲丸投

砲丸投(ホウガンナゲ)

内側の直径2.135mのサークル内から、片手で砲丸を投げてその距離を競う競技。日本陸上競技連盟(JAAF)の競技会規則では、砲丸の重さは一般男子が7.26kg以上、女子が4kg以上と定めている。古くから狩猟や軍事上の目的により、重量のある物質の運搬が頻繁に行なわれていたという生活の背景から、重い物を持ち上げ、遠くに投げるというコンテストなどが根付いていたことがルーツと考えられている。近代的な陸上競技大会に登場したのは19世紀、ヨーロッパの大学の陸上競技大会だったと言われている。第二次世界大戦後、アメリカのオブライエン選手が今では一般的となった後ろ向きの投法を披露し、世界記録が飛躍するきっかけになった。さらに、1970年代からは円盤投からヒントを得た回転投法なども登場している。

棒高跳

元々、棒を使って門や塀、土手などを跳び越したり、竿や棒などの道具を使って獲物を追って小川や運河などの川幅を跳んだりしていた行動が、競技として日本に入ってきたのは、明治初期。当時は「竿飛」「棒飛び」などと呼ばれ、1900年代に入り、「棒高跳」という名称が一般的に使われるようになったとされている。世界の歴史では、19世紀半ばからイギリスのパブリックスクールなどで盛んに行なわれていたが、当時はバーの手前に三脚架を立てて、身体を振り上げて棒を登るというスタイルだったとされている。その後、砂場の出現や棒が木製から竹製に変わったことなどにより、記録が向上。東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の少し前からは「グラスファイバー」製の棒が使われるようになり、飛躍的に記録が伸びた。

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