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陸上競技情報

世界のマラソン



19世紀中頃よりイギリスとアメリカ合衆国を中心に勃興した、アマチュア陸上競技。その後、欧米各国でマラソンをはじめとした陸上競技が盛んになっていきます。1912年(明治45年)に創設された国際陸上競技連盟によって、競技規則の整備や加盟団体の統括、世界的な競技大会の運営などが行なわれ、マラソンは国際的なスポーツ種目として広がりを見せます。

オリンピックなどの国際大会では、当初アメリカ、ヨーロッパなどの選手が活躍する時代が続きますが、1970年代後半から1990年代前半にかけては日本選手が世界的な記録を残すなど、アジアなどのマラソン界も急速に力を付けてきます。

さらに、2000年代に入ると、最新のトレーニングなどを取り入れて選手の育成を行なえるようになったアフリカ勢が台頭してきます。特に男子マラソン界では、ケニアやエチオピアの選手が高い身体能力を活かして世界記録を次々と塗り替えています。

マラソン強豪国(ケニア・エチオピア)

マラソン強豪国(ケニア・エチオピア)

かつては、欧米諸国が優位であった男子マラソン界で、2000年代以降、アフリカ勢が圧倒的な強さを見せています。現在、男子マラソンの世界歴代10傑は、ケニアとエチオピアの2ヵ国が独占(2014年7月現在)。世界最高記録は、ケニアのウィルソン・キプサング・キプロティチが2013年(平成25年)のベルリンマラソンで記録した2時間03分23秒。以下、2~4位までをケニアの選手が占め、5位に"皇帝"と称される、エチオピアのハイレ・ゲブレセラシェが続きます。しかも、ケニアの上位4選手の記録は、いずれも2013年(平成25年)に更新されたもので、年々進化を遂げており、マラソンの最高記録が2時間を切る日も遠くないのではと言われています。

女子マラソンにおいても、2012年(平成24年)にケニアのメアリー・ケイタニーが2時間18分37秒、同じくケニアのキャサリン・ヌデレバが2時間18分47秒、エチオピアのアセレフェチュ・メルギアが2時間19分31秒のタイムを出して、女子の世界記録10傑に名を刻むなど、世界のマラソン界でのケニア、エチオピアの活躍は目覚ましいものとなっています。

このマラソン界での勢力図の塗り替えは、アフリカ勢がその高地民族特有の身体能力の強さと勝利を望むモチベーションの高さを大いに発揮したことが大きく影響していると言われます。また、その一方で先進国の若者が、車社会の発展による脚力の低下や、経済的に恵まれたことでの「飢餓感」の喪失により、衰退したという説もささやかれています。

ケニアの環境

ケニアの環境

ケニアでは成功したトップ選手の多くが地元で練習を続け、競技の賞金などを地元選手の育成に役立てています。身近に成功した選手を感じることで、"自分も同じようになりたい"と望み、練習の励みにもなります。さらに、有名選手を多く輩出しているエルドレッドとイテンにはランニングキャンプも設けられ、多くの選手が集まってきます。将来有望な選手はスカウトされ、様々な支援を受けられる環境が整っています。

ケニアでのトレーニングは全体的に練習量が多く、グループ練習が中心であることが特徴です。レベルの高い選手がともに練習を行なうことで、競い合い、励まし合いながらお互いを高め合う傾向が見られます。

エチオピアの環境

エチオピアの環境

エチオピアのマラソン界では、1960年(昭和35年)と1964年(昭和39年)のオリンピックで金メダルを獲得したアベベの栄光が燦然と輝いており、その後にも名選手を輩出しながら伝統を継承してきましたが、独裁政権の継続によって保守的で閉鎖的な政策が取られており、ケニアに対して遅れを取ったと言われています。

近年エチオピアで最も成功した選手として広く知られているのが、"皇帝"ハイレ・ゲブレセラシェです。数々の世界大会で優勝し、世界記録を塗り替えてきた彼は国民的な英雄として若手選手のあこがれの的です。巨大な邸宅を構え、銀行やホテルなどのビジネスマンとしても成功するなど、そのサクセスストーリーはエチオピアの若者に希望を与えています。

エチオピアの陸上界では警察、陸軍、空軍、銀行などのクラブ活動が日本の実業団と同じような形で競い合い、選手たちはいずれかのグループに所属してきました。近年はこの閉鎖的な環境に変化が見られ、外部資本によって運営される独立育成クラブも認可されるようになりました。また、2009年(平成21年)には歴代の名選手を多く輩出してきたオロミア州が、新たな州政策としてエリート選手を育成する合宿所を設立すると発表。その成果に期待が集まっています。