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マラソンの歴史



紀元前400年の「マラトンの戦い」に由来してその名称が付けられたというマラソン。1896年(明治29年)の第1回近代オリンピックで行なわれた長距離走が、マラソン競走の始まりと言われています。42.195kmというコースの距離なども様々に変化しながら、マラソンはスポーツ競技としてその人気と地位を高めてきました。1924年(大正13年)の第8回オリンピック、パリ大会から42.195kmの距離で実施され、今日に至っています。かつては選ばれたエリート選手だけが取り組める特別な競技でしたが、トレーニング方法の研究が進んだことなどで、競技人口の裾野が広がりました。かつては認められていなかった女性選手にも門戸が開かれ、世界各地で多くのマラソン大会も開催。マラソンは身近なスポーツ種目となっていきます。

世界の主要な大会で優秀な成績を収め、黄金時代を築いてきた日本でもマラソンは人気のスポーツです。現在では、ランニングの愛好家が増え、フルマラソンに出場することの垣根は以前に比べて格段に低くなっています。

日本のマラソンの歴史

日本のマラソンの歴史

ランニングブームの高まりによって、近年は各地で多くのマラソン大会が開かれています。日本においてマラソンが広く親しまれるまでに至った歴史を見ていきます。

日本初のマラソン

日本初のマラソン

日本で最初に行なわれたマラソン大会は、1909年(明治42年)3月21日に開催された「マラソン大競走」です。兵庫県神戸市兵庫区の湊川埋立て地から、大阪市の西成大橋(現淀川大橋)までの距離約32kmのコースでした。参加者は20名で、兵庫県西宮市の鳴尾競馬場で行なわれた予選会によって408名から選ばれました。優勝は2時間10分54秒のタイムで、岡山県の在郷軍人、金子長之助でした。

オリンピックで生まれた珍記録

オリンピックで生まれた珍記録

日本ではマラソンへの関心が徐々に高まり、オリンピックでもマラソンは常に注目を集める競技の上位となってきました。日本が初めて選手を派遣した1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックから、マラソン選手を送っています。このとき参加した、金栗四三の記録は、スタートからゴールまでにかかった最も遅い記録として、現在も残っています。マラソンのレース途中に熱中症になり、昏睡状態に陥った金栗は、コース近くの農家に保護されます。意識が戻ったのは翌日、金栗は棄権の申告をせずに帰国してしまいます。大会関係者もこの事実を把握しておらず、記録の上では競技継続状態のまま、大会日程が終了してしまいました。

その後の1967年(昭和42年)、ストックホルム市がオリンピック開催55周年記念の式典を開催することになりました。当時の記録をオリンピック委員会が調査したところ、出場した選手の中で、完走しておらず棄権もしていない金栗の存在が見つかります。このため委員会は、改めて完走もしくは棄権をするように金栗に伝えます。これを受けてストックホルムへ赴いた金栗は、式典の中で残りの距離にあたる100メートルを走ってゴール。完走に半世紀以上かかったという、常識ではありえない公式記録が残されました。

日本マラソンの黄金時代

日本マラソンの黄金時代

1964年(昭和39年)、東京で開催されたオリンピックでは円谷幸吉が銅メダルを獲得します。その後、1968年(昭和43年)のメキシコオリンピックでも君原健二が銀メダルを獲得。日本の男子マラソンからは世界最高記録保持者が生まれたり、著名なレースで優勝や上位入賞をしたりと好成績を出すことが増えました。1970年代後半から1990年代前半にかけては、マラソン世界歴代10傑に名を連ねる世界的な選手が数多く登場。宗茂、宗猛、瀬古利彦、伊藤国光、中山竹通、谷口浩美などが活躍します。1991年(平成3年)の東京世界陸上では谷口浩美が金メダル、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピックでは森下広一が銀メダルに輝くなど、マラソン黄金時代を築きました。

また、女子マラソンにおいても、1990年代前半から2000年代前半にかけて、女子マラソン選手がオリンピックや世界陸上競技選手権などの世界的な競技大会で、数多くのメダルを獲得する活躍を見せ、マラソン界において大きな存在感を示しました。2000年(平成12年)のシドニーオリンピックでは高橋直子、2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは野口みずきが、連続して金メダルを獲得し、女子マラソンへの注目が高まります。特に、高橋直子は"Qちゃん"の愛称で親しまれ、女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞するなど、マラソン人気の向上にも貢献しました。

当時の日本で取り組まれていたマラソン研究は世界最先端で、1990年代前半以降のオリンピックや世界陸上競技選手権での日本人選手のメダル獲得は、その研究によるものとも言われています。

マラソン強豪国の台頭

マラソン強豪国の台頭

2000年代後半からは、ワールドマラソンメジャーズのシリーズ戦が創立され、従来オリンピックや世界陸上競技選手権などで争われてきた世界一のタイトルが、毎年の主要大会のポイントによっても争われるようになりました。また、エチオピアやケニアなどのマラソン強豪国の多くの選手が今までよりもマラソンに大挙参加し、従来よりもマラソンに力を入れるようになります。マラソン強豪国の選手達によって、マラソンは次第に高速化。日本勢はそれに十分対応できず、男女ともに苦戦を強いられている状況です。

市民マラソンにおいては、ランニングブームが高まりを見せ、美と健康を意識した女性ランナーも増加。雑誌などのメディアには、ランニングを楽しむ女性芸能人ランナーが登場する"RUN"企画が多く取り上げられています。東京の名所を走ることができる東京マラソンや、女性ランナーの祭典といった様相を呈する名古屋ウィメンズマラソンなど、参加申込みが殺到する人気のマラソン大会も増えています。

女子マラソンの歴史

女子マラソンの歴史

マラソンブームに伴い、女性ランナーが増加していますが、かつて女性のマラソン参加は認められていませんでした。オリンピックに女子マラソンが採用されるまでの歴史をたどってみましょう。

女人禁制のオリンピック

女人禁制のオリンピック

古代オリンピックでは、"スポーツは男性のもの"という考え方のもと、女性の参加は禁止でした。1896年(明治29年)の第1回アテネ大会も男性のみで行なわれましたが、マラソンには女性ランナーが飛び入り参加しています。ギリシア人のメルポメネという女性で、マラソンへの参加を直訴したものの認められず、他の選手がスタートしたあとに、競技委員の目を盗んで走り出しました。優勝者に1時間半遅れてゴールしましたが、当然その記録は認められることはなく、あまり話題にもならなかったということです。

男性のみの大会であるオリンピックに対して、その後、多くの女性が立ち上がります。1921年(大正10年)には国際女性スポーツ連盟が発足。陸上競技を中心とした女子オリンピック大会が開催されます。1924年のパリオリンピックでの女子陸上競技の実施を求めて、熱心な運動を行ないますが、これも実現せず、1926年(大正15年)に第2回の女子オリンピック大会を開催。女子陸上競技の門戸が正式に開いたのは、1928年のアムステルダムオリンピックのことでした。

このアムステルダム大会では、日本の人見絹枝選手が800mで銀メダルに輝くなど活躍しますが、一方で"800mに参加した女性選手の半数以上がゴール後に倒れた"といったセンセーショナルな報道もされました。そのため、女性にとって中・長距離種目は不適と言われ、再びオリンピック種目から除外されます。その後、1960年(昭和35年)のローマ大会では女子800mが復活しますが、女子マラソンがオリンピック種目となるのは、まだ先のことです。

女子マラソンの先駆者達

女子マラソンの先駆者達

マラソンレースへの参加を認められず、その後も独自に参加する女性はあとを絶ちませんでした。1963年(昭和38年)、アメリカ・カリフォルニア州で開催されたマラソンレースには2人の女性が参加。役員の制止を振り切り、男子の集団にもぐり込んで走りました。また、1964年(昭和39年)にニュージーランドで行なわれたレースでは、ミルドレッド・サンプソンが3時間19分33秒でゴール。1966年(昭和41年)のボストンマラソンでは、ロバータ・ジブ・ビンゲイが男性選手に紛れて3時間21分40秒で完走します。しかし、いずれも記録として認められることはありませんでした。続く1967年(昭和42年)のボストンマラソンでは、キャッシー・スワイツアーが女性と分からないよう登録名に一計を凝らして、選手証とナンバーカードを手に入れます。スカーフなどで顔を隠して参加した彼女は、途中で女性であることが発覚。役員に制止されますが、かろうじてゴールします。「なぜ女性が出場できないのか」という彼女の訴えに対して、アメリカの体育協会は、国際陸連の規則で男女混合の競技は禁止されている、マラソンは女性としての生理的許容範囲を超えているなどと回答しました。

やがて、女性のマラソン参加への道が開けてきます。1970年(昭和45年)のニューヨークマラソンでは女性の参加が認められ、3児の母であったニーナ・クラシックが出場。翌年の同大会では、オーストラリアのビームス選手が2時間46分30秒のタイムを記録し、世界中を驚かせました。1972年(昭和47年)には、ついにボストンマラソンも女性の部を新設します。この大会では日本出身のゴーマン・美智子選手が2時間47分11秒で優勝。日本でも大きく報じられました。その後、同選手は1976・77(昭和51・52年)年のボストンとニューヨークマラソンでも優勝しています。

オリンピックでの女子マラソンと日本での隆盛

オリンピックでの女子マラソンと日本での隆盛

そしてついに、オリンピックでも女子マラソンが認められる日がやってきます。1984年(昭和59年)のロサンゼルス大会で、女子マラソンが実施されました。初代金メダリストに輝いたのは、アメリカのジョーン・ベノイト選手。2時間24分52秒の好記録で、グレテ・ワイツ選手やロサ・モタ選手をおさえました。日本からは故・永田(旧姓佐々木)七恵選手と増田明美選手が参加しています。

日本では、1978年(昭和53年)4月16日に東京の多摩湖畔で日本初の女子マラソン大会が開催されました。49名が参加し、沿道には10万人もの観衆がつめかけたと言われています。翌年の1979年(昭和54年)には本格的な国際女子マラソンレース「東京国際女子マラソン」が誕生(2008年で終了。2009年からは横浜国際女子マラソンがこれに代わる)。その後、相次いで、大阪国際女子マラソン(1982年)、名古屋国際女子マラソン(1984年)などが開催され、今日に至っています。